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2023.10.20 コラム 【Civita di Bagnoregio】チヴィタ・ディ・バーニョレージョ(その1)

Ciao!
皆さんは、一度で良いから別の時代へ行ってみたいと考えたことはありますか?
平安時代、戦国時代、などなど…。
「中世ヨーロッパ」もきっと多くの人が想像の中で旅をする時代ではないでしょうか。

そんな中世ヨーロッパへのタイムスリップを現実にできる町がイタリアにはたくさんあります。

今日はその中の一つ、過去のコラムでもご紹介させて頂いた、ラツィオ州北部に位置するヴィテルボ県バーニョレージョ市にあるカランキ渓谷の崖の上に残る町“チヴィタ・ディ・バーニョレージョ”(Civita di Bagnoregio)についてご紹介します!

まずは町の成り立ちについて少し覗いてみたいと思います!

ここは、現在では住民が10人に満たない小さな町ですが、とても長い歴史を持っています。中心部のレイアウトは2500年前に町そのものが築かれた時代にまで遡り、さらに町の現存部分は中世後期からほぼ無傷のまま残っているのです。

チヴィタは2500年前にエトルリア人によって築かれました。当時、中央イタリアの主要な水路であったテヴェレ川とボルセーナ湖を結ぶイタリア最古の街道の一つに面しており、交易の中心地の一つとして栄えていたようです。

チヴィタの存在するカランキ渓谷は、植生に覆われていない土地に水や風が作用することによって起きる土壌侵食現象によって形成されました。チヴィタは渓谷の中心にある崖の上に建っており、強い浸食現象と地震による地滑りや崩落が絶えませんでした。この問題はエトルリア人が町を築いた頃には既に知られており、当時からチヴィタを守るために河川を堰き止めたり、雨水が適切に流れるように排水路を整備したりといった対処が行われていました。エトルリア人による町の建設ののち、古代ローマ帝国の支配下ではこの対処が引き継がれましたが、その後の支配で放置されてしまいました。
今日でもこの問題は絶えず続いており、地滑りの影響で毎年7センチの土砂が崩落していると言われ、2017年までの500年の間に村の表面積は20~25%縮小したとみられています。(しばらくは大きな崩落の危険がないため現在は観光可能)

2500年も前のものが町に残っているなんてすごいですね!
この様にいずれは、村全体が崩れ行くであろうことから、バーニョレージョ生まれの作家ボナヴェントゥーラ・テッキによって“死にゆく町”という異名が与えられたそうです。

彼は自身の短編小説「アンティーカ・テッラ(古来の大地)」の中で、チヴィタを次のように描写しています。

“荒れ果てた家々や壁は、崖の上で黒いたてがみのように、まるで空白の上に建てられたかのように、今は終末の大気を吸い込んでいる。-それが残っている全てだ。
底知れない渓谷という海の上で、時の止まったそそり立つ崖の孤島を、揺るぎない安穏の大地へとつなぐ、ほっそりと白いリボンの如き唯一の道は今にも崩れようとしている。(中略)
たった一つの大地との繋がりが崩れ去ってしまうのは、数か月後かそれとも数日後か…きっと今日のような雨の降る冬の夜のうちだろう。“

白いリボンの如き唯一の道…?たった一つの大地との繋がり…?町の入口への道の話をしているのでしょうか?
後編へ続きます!ぜひ後編もご覧ください!

後編はこちら!
https://www.adomani-italia.com/blog/column/civita-di-bagnoregio-2/

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