2023.10.23 コラム 【死にゆく町】チヴィタ・ディ・バーニョ・レージョ(その2)
Ciao a tutti!
前回のコラムで中世ヨーロッパの歴史の残る“死にゆく町” チヴィタ・ディ・バーニョ・レージョについてご紹介しました。
今回はそちらの後編になります!
前編まだの方はこちらから♪
https://www.adomani-italia.com/blog/column/civita-di-bagnoregio-1/
作家ボナヴェントゥーラ・テッキが自身の著書の中で、チヴィタを描写するにあたり
“ほっそりと白いリボンの如き唯一の道は今にも崩れようとしている。”
という表現を用いていました。これはチヴィタの入口へと続く道について表現しています。
最盛期にはチヴィタへの入り口は5つありましたが現在残っている入口はたった1つです。
元々はその入り口に続く尾根がありましたが、地滑りによってなくなってしまい、1923年に一つ目の橋が建設されました。
その後も続いた地滑りと地震の影響で橋が劣化したため、1965年、鉄筋コンクリート造りの橋に作り直されました。
チヴィタへたどり着くためのたった1つの道は既に2度作り直されています。
町に入る為にはこの300メートルに及ぶ橋を進まなければなりません。
橋の近くまでは車で来ることもできますが、その先は徒歩でしか行けません。
町に物資を運ぶため等、特別に許可されていなければ、車両は入ることが出来ず、ひとたび町の中に入ると現代の文明を思い起こさせるものはほとんどありません。
この橋を渡ることで現代から中世へと時を遡ることになるのです…!
さて実はこのチヴィタはスタジオジブリ作品「天空の城ラピュタ」のモデルになったという噂が広まったのはご存知でしょうか?
スタジオジブリからそういった公式発表はされていませんが、イタリアでもこの噂は広まり、その効果もあってか2019年にはなんと100万人もの観光客が訪れたそうです。
チヴィタは町に入る為にチケットを購入しなければなりません。チケットは1人5ユーロ(幼児等の免除あり)なので、およそ500万€(現在の交換レートだとおよそ8億円)もの収入があったことになります。
今日でもチヴィタに訪れる観光客は1日で1万人になることもあり、それによって多大な財源がもたらされています。
これらの財源は“死にゆく町”チヴィタを救うため、またその方法を模索するために使われています。
(Giardino del Poeta 詩人の庭内部の写真)
一方で観光客の増加による影響を危惧する意見もあります。
主な理由は観光客が増加した後の5年間でチヴィタの中央広場が30cm浸食されてしまったからです。チヴィタの中央広場は舗装されておらず土が向き出しの状態ですが、観光客が増加する前は1000年もの間、浸食されることなく残っていました。
たくさんの人が行き来すれば経済的な利益が得られますが、チヴィタにとってはそれが別の形で浸食を進めることに繋がってしまい、自らの命を短くすることにもなってしまう可能性があるのです。
ですが何もしなければいずれチヴィタが消え去ってしまう事は避けられません。
あなたはどう思われますか?
チヴィタを外から眺めてみて、そこに残る歴史と未来への選択に想いを巡らせる。そんな旅を体験されてみるのも良いかもしれませんね…!
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