2021.04.23 コラム マテーラの歴史ー栄光、衰退、そして大復活
Ciao a tutti!
皆さんの住む地域では、最近はどんなお天気ですか??
春真っ盛りのローマに住む友人が、またお花の写真を送ってくれました。
「世界が落ち着いて、早くまたローマでお散歩するのが楽しみだね!」とのメッセージ付きで。
その日が早く来るよう、願うのみです。
さて本日は、『世界遺産!洞窟の街・マテーラ』の続編。
バジリカータ州の東部・マテーラの歴史について、お伝えします!!
世界最古の居住群の一つ
マテーラは、「旧石器時代(紀元前10千年紀)から人類が定住し始めていた」との説もあり、世界で最も古くから継続的に居住している集落の1つです。
街の裏側に広がるグラヴィーナ渓谷には、風雨の浸食により自然と形成された洞窟が多くあり、そこに人が住み着いたのが始まりと言われています。
8世紀から13世紀にかけて、イスラム勢力からの迫害を逃れたキリスト教の修道僧たちがこの洞窟に身を隠し、住居や教会を構えました。
石灰岩の斜面を新たに掘り、家や道路が作られ、徐々に街らしい姿に。
この住居群は『サッシ(Sassi:「岩」を意味するイタリア語sassoの複数形)』と呼ばれています。
15世紀から16世紀には、オスマン帝国に追われたアルバニア人やセルビア人なども移住。
地中海交易の発展とともに繁栄を遂げ、1663年にはバジリカータの州都となり、最盛期を迎えます。
強制移住、無人の廃墟
しかしながら 街や人口の拡大は、皮肉にも貧富の差を生みました。「光の裏には影あり」ですね。
裕福な人々は新たに整備された高台にある地域に移り住み、サッシ地区の洞窟群には貧しい家族のみが取り残されることに。
1806年に州都が現在のポテンツァに移されると、衰退の速度はさらに加速していきました。
家畜と人が共に住まざるを得ない状況や、劣悪な衛生環境による死亡率の増加など、行政機能を失い荒れていく街を見かねた政府は、1954年に全ての住民を新市街地へと強制的に移住。
その結果サッシ地区は、誰もいない無人の廃墟と化しました。
大復活!世界遺産へ
一旦は放棄されたマテーラですが、ユニークな歴史や文化的資産が見直され、1993年には『マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園』として、ユネスコの世界文化遺産に指定されました。政府の主導により、3,000戸ほどの洞穴住居の一部は、ホテルやレストラン、小さな美術館や店舗へと改装され、観光地としての復活を遂げていきます。
また2019年には、街全体が『欧州文化首都(European Capital of Culture)』に選出され、多くのイベントが開催され、特にヨーロッパ中からの観光客で溢れ返しました。現在は、このサッシ地区を旧市街地、マテーラ市民が生活する地域を新市街地と区別して呼ばれています。
いかがでしたか?
繁栄、廃墟、復活…と、歴史の酸いも甘いも知り尽くしたマテーラだからこそ、街そのものに光と影を見ることができ、多くの人の心を捉え続けているのだと思います。
留学経験者が揃うアドマーニでは、留学生活の酸いも甘いも経験してきたスタッフたちが皆さんのサポートに当たります。
どんな小さなことでもお気軽にご相談ください。
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