2021.08.20 コラム ヴェッキオ宮殿
Buongiorno!
8月も後半になりましたが、まだまだ暑い日が続きますね。
イタリアを始めヨーロッパ各地は猛暑というか酷暑というか、そんな言葉では表せないくらいの暑さのようですが、そんなイタリアへ向けてアドマーニからは今月も続々と留学のお客様がご出発しています!
感染症の状況は日本と同様にまだ心配はありますが(ワクチン接種はだいぶ進んできました)、ご無事でそれぞれの目標や目的を果たしてきてくださることを願っています。
さて、今日は「屋根のない博物館」ともいわれるフィレンツェより、「ヴェッキオ宮殿」について少し深堀りしてみたいと思います。
世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の中にある「ヴェッキオ宮殿(Palazzo Vecchio)」は、強大だった都市国家フィレンツェの歴史に欠かせない、非常に重要な建物の一つ。
この宮殿は1299年から1314年にかけて、アルノルフォ・ディ・カンビオという彫刻家・石工によって建設されました。
初めはフィレンツェ共和国の政庁舎として使われ、その後はフィレンツェを支配したメディチ家が住居として使用、1550年から1565年の間にはジョルジョ・ヴァザーリによる改築が加わり、彼が作った“ヴァザーリの回廊”はウフィツィ美術館とヴェッキオ橋を渡り、メディチ家ののちの住まいとなったピッティ宮殿へとつないでいます。
現在でも、フィレンツェ市庁舎として使われており、内部は見学することも可能です。
ちなみに、ヴェッキオ宮殿は2016年の映画『インフェルノ』のロケ地にもなりましたが、皆さんはご覧になりましたか?
この映画でさらに有名になり、観光客の数も増えたそうです。
見どころは、高さ94mのアルノルフォの塔、「フランチェスコ1世の仕事部屋」、「500人大広間」、「レオ10世の間」、「ゆりの間」、「地図の間」などなど、メディチ家の繁栄ぶりがよくわかる豪華絢爛な装飾や芸術品を持った部屋がたくさん。
中でも圧巻の「500人広間」に飾られている壁画、「シエナ攻略」と「ピサ攻略」からは、フィレンツェがいかに強大な都市国家であったかがうかがえます。
この壁画、ヴァザーリを始めとする画家たちによって描かれたものなんですが、もともとは改築前にはあのレオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロの二大巨匠が相対する壁をそれぞれ担当して対決をしていたんだとか。どちらも未完のままとなり、取り壊されて今の壁画がかけられた…のですが!
レオナルド・ダ・ヴィンチがこの場所に描いていたという「アンギアーリの戦い」は、今もこの壁画の裏側に隠れているということが判明!
ヴァザーリの絵の中に「"CERCA TROVA"(「探せ、さすれば見つかる」)という文字があり、長年謎とされてきたものが、2000年代に入ってからついに解き明かされたのです!
とっても小さい文字だそうなので、宮殿にいらした際にチャンスがあれば探してみてください!
ところで、イタリア語で「vecchio(ヴェッキオ)」は「古い」という意味です。近くにある「ポンテ・ヴェッキオ」は「古い橋」。
ということは、ヴェッキオ宮殿は「古い宮殿」ですね。
今から考えれば確かに「古い」けれど、最初からそう呼ばれていたの?
建設されていた当時にとってはむしろ「新しい」ものだったはずでは?
…と思った皆さん、正解です。やはり違う呼び名があったようです。
当初は「Palazzo dei Priori (パラッツォ・デイ・プリオーリ)」="プリオーリの建物"
フィレンツェ共和国の政治を司っていた選任者のことを「Priori」と呼んだそうです。
その後、僭主政治になると宮殿の名称も「Palazzo della Signoria(パラッツォ・デッラ・シニョリーア)」と変わり、メディチ家の住居になると、「Palazzo Ducale (パラッツォ・ドゥカーレ)」=“公爵の宮殿”、彼らが新しい場所(ピッティ宮殿)に移動したので、ついに“古い宮殿”と呼ばれるようになったということです。
納得ですね!
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