2022.08.12 コラム 日本人初のイタリア留学?『天正遣欧少年使節団』
Ciao! 今年の夏もまた厳しい暑さが続いていますが、皆さま元気にお過ごしでしょうか。
暑いは暑いけれども、イタリア各地で伝統行事や季節のイベントが開催されているニュースを見ると、「今年はついに!」と勝手に嬉しくなりつつ、何度も行った大都市も、いつかは行きたい郊外の小さな街も、「次はどこに行こうかな??」と考えるとワクワクしますね♪
日本にいながらにしてイタリアを感じられるツールやイベントもたくさん出てきましたが、やはり「自分の目で確かめたい」、というのはいつどんな時代も変わりませんね。
昔は海外に行くとすれば航路しか手段がなかったんだよなぁと思うと、中国や韓国といった日本から近い国々はもとより、ヨーロッパやアメリカへと渡っていった人たちはすごい…!
きっと再び日本に帰ってくることはないかもしれないという覚悟だったのかなぁ…なんて思いながら、そういえばイタリアに初めて行った日本人って、誰なんだろう?と気になったのですが、皆さんご存知ですか?
ネット検索してみたところ、ヒントは比較的新しく日本で世界遺産に登録された長崎。
「キリシタン」、「4人の少年たち」というキーワードから思い浮かぶのは…??
日本から初めてヨーロッパへ行ったのは、『天正遣欧少年使節団』という説が濃厚です!
彼らは戦国時代の若きキリシタン。天正10年(1582年)に、九州のキリシタン大名たちの名代として、キリスト教の聖地ローマに派遣されました。当時わずか13~14歳という若さで抜擢された4人の少年の名前は、
伊東マンショ、千々石(ちぢわ)ミゲル、原マルチノ、中浦ジュリアン。
2年半の年月をかけ、リスボンに到着した彼らはスペイン国王・ポルトガル王、そしてローマ教皇にも謁見し、ヨーロッパに日本の存在を知らしめ、活字印刷などヨーロッパの進んだ技術や知識を持ち帰ってくるなど、その後の日本文化にとって大きな貢献を果たしました。
そんな彼らの偉業をたたえ、長崎県大村市には「天正遣欧少年使節顕彰の像」が建てられているのです。
ということで、ヨーロッパ・イタリアへ初めて訪れた日本人は天正遣欧少年使節団…だと思いきや!
実はもう一人、日本からヨーロッパに渡った人物がいるそうです。
その人物とは、ベルナルドという鹿児島出身の男性。彼もまたキリスト教徒でした。
日本名は残っていないようですが、天正遣欧少年使節団よりも少し前の1555年にヨーロッパへ行き、シチリア・ナポリ・ローマにも訪れ、そのまま日本に帰ることなく1557年にポルトガルで生涯を終えたと言われています。
ということで(2回目)、初めてイタリア(ヨーロッパ)に行った日本人はベルナルドさんでした。
鹿児島のザビエル公園で宣教師ザビエルの像と一緒に彼の像も見ることができますが、彼は再び日本に帰ってくることは叶いませんでした。
天正遣欧少年使節団の彼らは、日本人で初めての渡欧ではなかったものの、イタリアへ行き、そして “帰国した” 初めての日本人とは言うことができるでしょうか?
つまり「初めてイタリア留学をした日本人」ですね!
初めて見るヨーロッパの街や人々、立ち並ぶ教会など日本では見られない建築物の数々に、少年使節団の彼らはどれだけ感動したことか…。
イタリアには何度も行っている私たちですら、行く度に新しい発見や感動に出会うことを考えると、震えるほどの衝撃があっただろうなと思います。
実際にキリスト教の国々を自分たちの目で見て体験してきた少年使節団の彼らだからこそ、帰国後の日本での布教活動も説得力が増して他の人の信仰を深めることにもつながったかもしれません。
(禁教令が厳しい時代だったので、日本に戻ってからは大変な苦労があったようですが…)
どんな勉強も体験に勝るものはありません。
「私も自分の目で確かめたい!イタリアに行こう!」
ご留学をご計画の際は、ぜひアドマーニへご相談ください!
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