2015.11.27 コラム&ブログ 過去の理想郷?!クレスピ・ダッダ
Buongiorno a tutti!
日本列島は突然の寒気に襲われましたね。
皆さん、体調管理はしっかりされていますか?
朝布団から出るのも億劫になる季節ですが、この寒さが来ると温泉が楽しめる時期が今年もやってきたな、としみじみ感じます。
今回の冬はまだ計画中ですが、今年初めの冬は、私事ですが伊香保に足を伸ばし、体も心もふやけて帰って来ました!
唯一の心残りだったのは、昨年(2014年6月)世界遺産に登録された富岡製糸場に、見学料の大幅な値上げがされる前に行かなければと心を躍らせていたのにもかかわらず、スケジュールの問題で行けなくなってしまったことでした。
日本の近代化に大きく関わったこの工場を、寒さと共に思い出したついでに、イタリアのある町について話したいと思います。
アルプスで生まれ、コモ湖へ水を送り、ポー川へ流れ着く、イタリアで4番目に長い川。
かつてケルトであったこの地の古い言葉で「水の流れ」を意味する名前を持つ、アッダ川です。
そのアッダ川のほとりに、クレスピ・ダッダという町があります。
ミラノに住んでいるときに、イタリア人の友人に、どこか行った事のない町に遊びに行きたい!と言うと、それじゃあ近場で、と連れて行ってくれたのがこの町でした。
悠々と流れるアッダ川を越えると、町というにはなんだか活気に欠けた、どことなく「紙の上の計画」に沿って作られたような、不思議な住宅地に入り込みました。
この町はいったい何なの?と聞くと、友人たちは説明してくれました。
19世紀の後半、ヴァレーゼ県の町、ブスト・アルスィツィオにイタリア屈指の綿織物工業家、クレスピさんがいました。
彼はベルガモ県のカプリアーテ・サン・ジェルヴァージオに85ヘクタール(USJ2つ分)の土地を買い、工場を建て、そこで働く多くの人をそこに住まわせたのです。
もちろん、人が生活するとなれば、必要なものも多くできてきます。
学校、病院、消防署、墓地などを作り、まさに町にしてしまったのです。
そして付けた名前は、クレスピ・ダッダ(Crespi d’Adda:アッダのクレスピ)。
富岡製糸場は工場とその周りの建造物が世界遺産として登録されましたが、
紡績工場の工員村であるクレスピ・ダッダは1995年に町全体が登録されています。
しかし今では住民の生活を支えた工場も役割を終え、わずか500人ほどが暮らす、静かな町です。
町の中心にある工場の正面には大きな煙突がそびえ、そこから左右に延びるメインの通りには、
必要なくなった窓を全て塞がれた、おどけた表情の建造物が、先の先まで連なります。
この道はどこへ続くのかと、来た道とは逆の方向へ進んでいくと、突如目の前には木々が広がり、
更に奥へ足を運ぶと、そこに妙なものが姿を現したのです。
こ、これは。。。??
東南アジアの仏閣のようにごつごつした肌に、南アメリカのピラミッドのような正面階段。
どうやらこれが、クレスピさんの残した墓地のようです。
大きなモニュメントの正面に広がる芝生には、幾何学模様のように配置された小さな石の十字架。
いったい何を思って、このような一風変わった墓地を作ったのでしょうか。
町へ戻り、規則的に並んだ家々の横を歩いていると、優しい笑顔で庭の手入れをしている住民の女性をみかけました。
過去の活気は失われて、静かな時間だけが流れるこの町のかつての様子はもはや想像するしかないですが、
全てのことが仕事を中心に機能していた、あくせくした時代を経験した町は、
今そのときに忘れられていた息つく暇を取り戻すかのように、ゆっくりとした時間を堪能しているのかもしれないですね。
町の端に佇む、大聖堂というにはあまりに小ぶりな、尖塔のかわいらしい教会があります。
これは、クレスピさんの出身地、ブスト・アルスィツィオの聖堂を模して造られた、スモールサイズのコピーです。
理想的な町を作り出しても、やはり生まれた故郷に思いをはせていたのでしょうか。
クレスピ・ダッダの教会
ブスト・アルスィツィオの教会
ちなみにブスト・アルスィツィオは、イタリアの伝説的歌姫、日本でも「月影のナポリ」「砂に消えた涙」など楽曲がカヴァーされている、MINAの出身地です。
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